1582年    天正十年
参考)本能寺の変
1583年(01歳)天正十一年
丈山生る
1584年(02歳)天正十二年
祖父正信久手の戦いに戦死
1590年(08歳)天正十八年
参考)秀吉北条氏を滅す
1595年(13歳)文禄四年
仕官のため忍(おし)城にいたる
1598年(16歳)慶長三年
父を失う。家康に仕う。
参考)秀吉死す
1600年(18歳)慶長五年
関ヶ原の戦に従軍
1607年(25歳)慶長十二年
十二月駿府城の火災にあたり、徳川頼房(五歳)を救出
1614年(32歳)慶長十九年
大坂冬の陣
1615年(33歳)慶長二十年
大坂夏の陣、丈山奮戦、禁令をおかし先登した科により蟄居
(元和元年)
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1616年(34歳)元和二年
母病む。看病のため江戸に行き、この間「文選」に和訓を加う
1617年(35歳)元和三年
このころ帰洛し、藤原惺窩に学ぶ
1618年(36歳)元和四年
浅野長晨に仕う。間もなく辞し帰洛す
1623年(41歳)元和九年
広島の浅野仕う
1627年(45歳)寛永四年
用務を帯び入洛
1635年(53歳)寛永十二年
母を失う
1636年(54歳)寛永十三年
辞官を許されず、有馬湯治と称して帰洛、相国寺畔に住す。朝鮮聘使の権イ式と筆談
1638年(56歳)寛永十五年
所司代板倉重宗、幕府に士官をすすめたが辞退
1640年(58歳)寛永十七年
詩仙堂着工
1641年(59歳)寛永十八年
詩仙堂落成、丈山ここに移る。詩仙堂に掲げる  中国三十六詩人とその詩  選定
1642年(60歳)寛永十九年
大梁禅師(清見寺説心和尚)詩仙堂訪問、二十年ぶりに再会
1643年(61歳)寛永二十年
林羅山、第三子春斎、第四子春徳とともに来訪、「  詩仙堂記  」を作り、又父子三人各々「  凹凸窠(穴編に果)十二景  」の詩をつくる
1644年(62歳)正保二年
舞楽寺村中山に寿壙(生前に作る墓)を築く
1645年(63歳)正保三年
六勿銘  を作る
1652年(70歳)承応元年
故郷三河泉郷に転居を願出る、許されず
1659年(77歳)万治二年
明の帰化人陳元贇訪問
1662年(80歳)寛文二年
狩野探幽  丈山の画像  を描く
1668年(86歳)寛文八年
法皇より画賛を求められたが固辞し、隷書の大字を献上
1672年(90歳)寛文十二年
九十歳の賀を祝う。二月眼を病み、三月床に就き、五月二十三日歿
1691年     元禄四年
六月、芭蕉詩仙堂を訪う
1729年     享保十四年
霊元法皇詩仙堂に行幸、ついでに十六年七月より九月まで、眉公琴を宮中に止められた
1797年     寛政九年
紫野栗山「祭石丈山交」を草す。
1821年     文政四年
五月二十一日、百五十周年遠忌を催す、佐藤一斎、丈山の事蹟を書く
1921年     昭和三年
史蹟に指定さる
1983年     昭和五十八年
曹洞宗「大本山永平寺」御直末となる。
1990年     平成二年
五月十二日~二十三日 創立三百五十周年記念事業として

一、武原はん 舞の会(於京都会館)

二、晋山結制式

を厳修する。

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詩仙堂について

詩仙堂凹凸窠、その後の詩仙堂 など歴史について

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石川丈山について

石川丈山丈山の家系、幼時から一乗寺村隠棲と晩年まで

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御本尊

御本尊詩仙堂丈山寺の御本尊である馬郎婦観音

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三十六詩仙

三十六詩仙詩仙堂とよばれる様になった三十六詩仙とは

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書物

書物詩仙堂記、凹凸窠十二景、など書物を紹介

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展示物詩仙堂遺宝など展示物についての紹介

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年表詩仙堂に関係する時系列の年表

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