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本尊 馬郎婦観音

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所願成就
学業成就

に御利益があるといわれています。

馬郎婦観音 (めろうふかんのん) とは・・・

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冠を戴き、両手を前にやわらかく組んだ婦女身の観音である。

中国、唐の時代、憲宗元和4年(809年)、長安の西に位置する鳳翔地方では、教養として古から伝えられてきた、六芸の中の馬術と弓術の修練に、若者達は日々余念がなかった。その頃、外来思想の仏教がこの地にも浸透しつつあったが、若者達は仏教が説く三宝(仏・法・僧)に耳を傾けようとせず、むしろ蔑視さえしていた。

ある日、彼らの町にどこともなく妙麗な一人の婦人が現れ、若者達はわが妻にと競い合い、その婦人にそれぞれが求婚した。
  「一夜で 『観音経』 を誦えられるようになりましたなら、わたくしはその方の妻になってさしあげます」
婦人は若者に告げた。

翌日、20名の者が空で誦えることができた。婦人は次に 『金剛般若経』 を課した。暗唱が出来た者が十名となった。さらに婦人は、 『妙法蓮華経』 全28品を3日間で諳じられた殿御のもとへ嫁ぎます、と10人の若者たちに約束した。

3日後、馬(ば)という若者1人だけが、全28品を見事に諳じた。馬家(ばけ)では婦人を息子の花嫁に迎えた。しかし、どうしたものか、花嫁の気分がすぐれないといって、婚礼の席には出ずに別室に身を横たえた。

ところが、その祝い事に集まった親類縁者の宴席がおひらきとならないうちに、花嫁はにわかに息絶えてしまったのである。束の間の慶びと深い悲しみのうちに、花嫁の美しい姿のまま葬られた。

数日後、紫の衣に身をつつんだ老僧が独り現れ、馬氏に花嫁を埋葬した場所を案内させた。老僧はその場に着くと、錫杖で棺を開いた。中から一連の金の鎖状の骨が出てきた。
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  「これは観世音菩薩の化身である。仏教を信じようとしない、きみたちの閉じた心の扉をひらくために、方便として婦人の姿をかり、ここから天空へ飛び去ったのである」

老僧は、馬氏とその場に集まった人々に教えを誡した。
この観音は宋代に至につれ盛んに信仰され、宋末頃に絹本著色図として描かれた一枚が、わが国の京都大徳寺に伝えられたところから、鎌倉時代にはこの観音の信仰が行われたものと思われる。

なお、「馬郎婦」の読み方は「めろうふ」が一般的だが、「ばろうふ」が妥当かもしれない

(伊藤丈)

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